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音曲祝祭行 - 大木雄高

満月を盃にくだきて、暫し、酔ひて勢えよ

 昨年暮れの東京新聞に、元名古屋大学学長だった平野真一という人のインタビュウ記事が載っていて、「閉塞感を打ち破る心の教育が必要」を説いていた。そして、中国の故事成語の、水を飲むときは井戸を掘った人のことを思えという<飲水思源>という言葉を使っていた。ノーベル賞受賞者の「益川敏英さん、小林誠さんも受賞講演で、二人を育てた故坂田昌一教授を思い、『坂田さんに代わってもらう』とのべていた」と。何処かで聞いたことわざだなと記憶を引っ張り出すと、七〇年代に周恩来首相が訪中した田中角栄首相を迎えた時に使った修辞だった。この人は日中国交回復の井戸を掘ったのは俺だと、彼岸でも思っているに違いない。平野が言う<飲水思源>は、映画演劇音楽踊りの世界でも文学美術の世界でも、サッカーや野球などの世界では特に一般通用している倫理だと思っている。魯迅の通った東北大学の中国留学生を迎える寮は「思源寮」と言うらしいが、学者や世を牽引する経済人や官僚、政治家には特別のことらしい。戦後<渇して盜泉の水を飲んだ>金満国家は、<魚心あれば水心あり>の土建国家を作り、汚職で臭い飯を食った食後には、禊は済んだとばかり<明鏡止水>の心境になって復権する、おかしな世界の生き物に領導されているのだ。失業立国、非福祉立国、自殺立国とこれら閉塞感を生んでいる心の中が教育でなおるのだろうか。

卯年の年明けも
新玉の春の装いは無い。

 昨二〇一〇年十一月二十五日の朝、京都・知恩院にいた。時は錦秋の真っ盛り、境内にも周辺にも朝日が柔らかに黄色や紅の楓を照らして、尚かつ無常感を伝える。全国からやってくる引きも切れない善男善女に回向を捧げる経の勢かもしれない。光と色と音の競艶が時間の感覚を麻痺させる。前々号で触れた久世光彦の「あなたは最後に何を聴きたいか/マイ・ラスト・ソング」の仕事で前乗りした前日も打ち合わせは夜だったので、九条山にある宿・如是菴に荷を降ろすのも束の間、山中の裏道を通り抜けると琵琶湖疏水の疏水クラインに出た。クラインとは昔疎水の急勾配をさかのぼる運搬船を牽引する、汽車と同じレール付きの軌道装置のことだ。今では記念物になっている。後は疏水に沿っていけば南禅寺に出るのは分かっていた。人混みの南禅寺から永観堂禅林寺をそそくさと通り抜けて若王子に出ると、小川の形で北に流れる分流疏水が現れ哲学の道の始まりになる。日が陰りそうになってきたので銀閣寺はやめて、左に折れて鹿ヶ谷通りを横切り白川通を横切ると、幾倍も魅力的な真如堂の裏山道口がある。登り着くと真正極楽寺・真如堂は落日の中に押し黙っていた。参拝客は六、七人、ライトアップなどはない。わずかに照らされた紅葉は誘い込むように陰影を濃くして、他所の風情とは明らかに違っていた。
 二十五日の同志社大学寒梅館で行われた舞台の打ち上げは「吉田屋料理店」にした。出演者は歌・ピアノの浜田真理子、朗読の小泉今日子、お話の宮田毬栄の三名だったが、現地制作関係、東京から来た関係者、お客、雑誌取材班などで三十名ほどの大所帯になった。京都で催しをやるときは大抵ここにしている。勿論気に入っているからなのだが、変な店だとも思っている。オーナー・シェフの吉田裕子は料理本も出している方だが、空間は台所みたいだし料理も俄然オリジナルでひねりが利いている。大体家と家の六、七十センチしかない間を入った奥という場所から変だ。そうした変なのが気に入っている。
 〇六年四月、韓国のサックス奏者の姜泰煥が造形芸術大学に招聘された時、初めて「吉田屋料理店」に行った。ダム・タイプという俺の好きな過激でオルタナティブなパフォーマンス集団が出入りしている噂を耳にしていたくらいだったが、地元も東京組も一癖あるミュージシャンはみんな行きつけになっていったようだった。そして真如堂も初めてだった。翌日青蓮院から知恩院に高台寺、黒谷から吉田山を行脚した時、NHKの上野智男に連れて行かれた真如堂で、群生した芍薬の妖艶な迫り方と凛とした堂の佇まいに度肝を抜かれていたから、今回も妄想をかき立てられたのかもしれない。

京都にいると生と死が
近く感じるのが好きだと分かった。

 <生>のための一杯の酒を干す時、その原料がどこで穫れてどう作られどう口元にあるか言及するのは、百年も前から当たり前のことなのだ。なぜなら生来、酒と俺は<水魚の交わり>の仲なのだから。

2011年01月19日 17:59

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