音曲祝祭行 - 大木雄高
『雨が空から降れば』しょうがない不条理
北京から帰って一週間程経った2005年5月のある日、ビセンテ・アミーゴのコンサートに行った。ビセンテは今やもっとも著名なスペインのフラメンコ・ギタリストだが、彼が尊敬するという先輩ギタリストのパコ・デ・ルシアは、フラメンコ・ギター界に革命をもたらした同国の偉人で、ラリー・コリエルとジョン・マクローリンの『スーパーギター・トリオ』は、ジャズ界はおろか音楽世間の度肝を抜いた。その後ラリー・コリエルが抜けた後も、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエバー」のギタリスト、アル・デ・メオラと「スーパーギター・トリオ」は続いた。そんな流れを継承しようとしていたビセンテ・アミーゴの有能振りは、早くから聞こえていた。会場の渋谷東急文化村のオーチャードホールはほぼ満席で、そんな客席の期待を上回る天賦の才とパッションを放っていた。
ステージは興奮の内に終わったが、二列前の席にいたある客に元から気付いていた。その人小室等が立ったので、上気した気分を押さえて挨拶をした。以前に彼が手がけたNHKドラマの音楽のことが気になっていたのだ。簡単な挨拶の後「『レディ・ジェーン』に出てくださいよ」というと、「ああ、そうだね。挨拶じゃないですよ」と返事が返った。「挨拶じゃない」と言うことは本気だと言うことか? ビセンテ・アミーゴを共に聞いた直後だった訳で、俺はビセンテをフィルターに掛けたことになる。その後三回目の接近遭遇があって、翌06年に小室等のレディ・ジェーンのライブは実現した。
日本語に訳されたジャズの古い佳曲、何と和田誠によって自己解釈された日本語訳詞の、例えば『虹の彼方に』や『エデンの東』、『ワット・ア・ワンダフルワールド』などが、声を張り上げること無く、さがゆきとのツイン・ヴォーカルで、又は太田惠資のヴァイオリンと生ギターの響きと共に歌われると、別の生きもののように新しい曲になって立ち現れてくるのだ。勿論そこには小室等が持っている世界観や歌唱法があってのことだ。こうしたことを試みる発想自体向こう気充分と思うのだが、当人は「年を取ったら年を取った時の歌がある。その歌を歌うのが楽しみだ」等と枯淡の境地を言うのだ。
気になっていたと前述した、NHK金曜時代劇ドラマの『蝉しぐれ』が03年8月からあった。東北の小藩の下級武士に忍耐と不屈の波乱の半生を描いているのだが、演出が俺の好きな佐藤幹夫だった。実直な程誠に生きる男にも、蝉の命のごとく運命に抗うかなわね恋が有る。闇に光る秘剣村雨の閃光は父の仇に向けられる。そんな渇いた場面に、音楽担当の小室等はアラビック・ヴォイス&ヴァイオリンの太田惠資を前面にフィーチャーするのだった。どうだったかと言うと、凡百の音楽家ならシンセ・サウンド等を持ち込んで画面を凡百にするだろう。故武満徹なら現代音楽的に邦楽器を駆使して、更に画面を引き締めただろう。ところが黒沢映画ならぬ佐藤幹夫演出の張りつめた画面に、先のヴォイスが流れるや、一瞬の異和漢の後湿らず緩まず高尚にも行かず、孤独感と勇姿が果てし無く広がり泣けてくるのだった。情けの涙ではなく蒼穹の涙だ。こんな実験的な異化効果を計算できる小室等と言う人は、
枯淡と先端を同時進行しているから、
ずるいというか目が離せない。
一年前に出てもらった時『雨が空から降れば』を歌った。昔彼が結成していたバンド六文銭で、舞台に出演した時に歌った劇中歌だった。それ以来自身の代表曲になっている曲だ。その舞台を見ていた俺は、四十年前の当時にワープして「『赤い鳥の居る風景』だったか『街と飛行船』だったか? ともかく『雨が空から 降れば』を劇中歌で聴いたのは六十九年だった」等と書いてしまった。今回このエッセイを書くにあたって事実を調べてみると、劇中歌作品はどちらでもなく、『スパイ物語』だった。しかも七十年とあった。三本共別役実作品で、不条理劇の大家ベケットを信奉していた別役実の世界も当然不条理だった。
電信柱もポストも/フルサトも雨の中
しょうがない/雨に日はしょうがない/
ほら、こんな詩を書くなんて不条理じゃないか。六九、七〇年は皆不条理に憧れていたのだ。してみると、作品名の一つや、年号の一つを間違える等たわいもないこと。
今の世の現実の方が
余程不条理に決まっているのだ。

2009年09月03日 11:16
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